【訃報】小野サトルさんのwikiプロフ・経歴・学歴|『よこはまチャチャ』で新人賞17冠を獲得した歌手

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【訃報】小野サトルさんのwikiプロフ・経歴・学歴|『よこはまチャチャ』で新人賞17冠を獲得した歌手 気になるニュース

小野サトルさんは、昭和歌謡「よこはまチャチャ」でデビューし、日本レコード大賞新人賞を含む新人賞17冠を受賞した歌手です。

そんな小野サトルさんが、2023年3月24日、肺炎のため62歳で逝去していたことが2025年9月10日に公表されました。

本記事では小野サトルさんのWiki風プロフィール・経歴・学歴を中心に、『よこはまチャチャ』誕生秘話やファンの声もあわせて紹介します。

 

小野サトル(小野覚)さんのwikiプロフィール・経歴・学歴

それでは小野サトルさんのwikiプロフィール・経歴・学歴について紹介してゆきます。

 

  • 名前:小野サトル(芸名)/小野 覚(本名)
  • 生年月日:1962年6月4日
  • 出身地:大分県大分市
  • 年齢:62歳(享年)
  • 没年月日:2023年3月24日(肺炎により逝去)
  • 職業:歌手・シンガーソングライター
  • 師事:船村徹
  • デビュー:1983年、ワーナーパイオニアより『よこはまチャチャ』でデビュー
  • 受賞歴:日本レコード大賞新人賞、有線放送大賞新人賞など新人賞17冠
  • 代表曲:『よこはまチャチャ』『はまなす』『ぎやまん慕情』『NAGASAKI物語』『ひとりきりのラブソング』

 

学歴については公表されていませんが、

1979年に応募したオーディションが歌手になるきっかけになったことが明らかになっているので、高校時代までは大分で過ごされた可能性が高いでしょう。

学生時代は体操部に所属しており、その経験を活かしてテレビ番組でバク宙を披露する史上初の歌謡歌手としても注目を集めました。

 

小野サトルさん『よこはまチャチャ』で新人賞17冠を受賞

小野サトルさんは1983年、ワーナーパイオニアから『よこはまチャチャ』でデビューしました。
作詞は伊達歩(作家・伊集院静のペンネーム)、作曲は中村泰士という豪華布陣による作品で、リリース当時から注目を集めました。

同年の日本レコード大賞新人賞や有線放送大賞新人賞をはじめ、合計17もの新人賞を受賞。その歌声は「五木ひろし二世」と呼ばれるほど、演歌歌謡曲ファンからも高く評価されました。

ただし、1983年は「新人不作の年」とも言われ、松本明子さんや森尾由美さんら「お神セブン」がデビューした時期でもありました。女性アイドル全盛期の影に埋もれがちな中で、小野サトルさんがこれだけの新人賞を総なめしたことは、まさに異例の快挙だったと言えます。

 

筆者も当時、小野さんの「よこはまチャチャ」をリアルタイムで見ていました。
歌詞には「タバコを覚えて、女になった〜」といったフレーズがありますが、子供ながらに「なんて大人の世界なんだ…」と感じたのを覚えています。あと、小野さんが軽快にリズムを刻みながら歌っておられるところが素敵で、テレビ前で一緒になって歌っていました笑

 

小野サトルさんのデビューのきっかけとは?

小野さんは1979年、大分県佐伯市で開かれた新人発掘オーディションに出場。

恩師・船村徹の元で歌手としての研鑽を続けていた中、

ワーナーパイオニアのプロデューサーの目に留まったことが「よこはまチャチャ」のデビューに繋がりました。

1962年生まれの小野さんですので、デビューされた1983年はまだ21歳だったのですね。

大人っぽい曲・雰囲気だった為、実年齢よりぐっと落ち着いた印象でした。

 

晩年と最後の活動|妻の支えと未完の夢

小野サトルさんは、晩年も地道に音楽活動を続けていました。持病の糖尿病に悩まされながらも、発声練習やウォーキングを行い、ステージ復帰に向けて努力を重ねていたといいます。

特に支えとなったのが妻・かなえさんの存在でした。日々の生活を支えながらも、共にYouTubeチャンネルの計画があったことも弔文の中でも語られています。

最後のシングルとなったのは『ショットグラス/あなたが心で生きる限り』。この曲はもともと布施明さんのために書かれた作品でしたが、小野さんが気に入り、提供を受けたものです。FMやNHKラジオに出演したり、同期の風見しんごさんの番組にも登場するなど、再び注目を集め始めていました。

しかし、コロナ禍の影響や体調悪化が重なり、活動は思うように広がらないまま。未完成のまま残された楽曲「師走」もあり、まさにこれからという時に早すぎる別れとなってしまいました。

 

ファンから寄せられた追悼の声

小野サトルさんの訃報が報じられると、ニュースサイトやSNS、YouTubeのコメント欄には多くの追悼メッセージが寄せられました。その一部を紹介します。

 

  • 「昔たまたま居酒屋で隣の席になり、一緒に飲んだことがあります。優しくて大らかな方でした」
  • 「昭和58年に学生でした。弟と『よこはまチャチャ』を真似して歌ったのを覚えています」
  • 「勝ち抜きドンドン歌合戦で初代グランドチャンピオンになった姿を今も覚えています。プロ並みに上手かった」

 

みなさん、昭和の時代にあるそれぞれの小野サトルさんに持つ思い出を語られていました。

やはり、あの当時はテレビの歌番組は勢いもありましたし、今よりも間違いなく娯楽の一端を担っていましたから、小野サトルさんの「よこはまチャチャ」をなんとなくでも、「聴いたことある~!!」という昭和世代も多いのではないでしょうか。

 

小野サトルさんまとめ|『よこはまチャチャ』で記憶に残る歌手

小野サトルさんは、1983年に『よこはまチャチャ』でデビューし、日本レコード大賞新人賞や有線放送大賞新人賞など新人賞17冠を受賞した実力派の歌手でした。
“新人不作の年”といわれた1983年組の中でも、歌唱力とステージでの存在感は異彩を放っており、「五木ひろしを彷彿とさせる歌声」と「体操部仕込みのバク宙パフォーマンス」で唯一無二の存在として記憶されています。

晩年も音楽活動への情熱を失わず、妻の支えのもとで新しい挑戦を続けようとしましたが、2023年に62歳で逝去。
訃報の公表から時を経て、今あらためて多くのファンが思い出を語り、小野サトルという歌手の足跡が再評価されつつあります。

彼の歌声やパフォーマンスは、今もなお人々の心に残り続けています。

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