フジテレビの港浩一社長(72)が中居正広さんの女性トラブルで会見をされたことを機に注目が高まっています。
2024年1月17日に行われた会見ではテレビ中継はなく「回答を控えます」を連発したことから、釈然としないという声が多数。27日に改めて行われることが発表されました。
今回はフジテレビ・港浩一社長の若い頃にフォーカスを当てて記事をまとめてみました。
顔画像・とんねるず&秋元康との関係・wikiプロフィール・学歴・経歴について紹介してゆきます!
なお当サイトには関連記事がございます。よろしければ合わせてご覧下さいませ▼
【顔画像】港浩一社長の若い頃!
港浩一社長の若い頃はどんな感じだったのでしょうか?
こちらは『夕焼けニャンニャン』に出演された時の顔画像になります▼
引用:YouTube
この番組は1985年~1987年に放送されましたので、港浩一さんが33歳~35歳だった時の画像です。かなりイケメンですよね!
YouTubeのコメント欄には「長江健次さんに似てるのでは?」という意見もありました。確かにちょっと似てるかも!
仕事もノリに乗っている時ですし、このルックスならかなりモテモテだったのではないでしょうか?
番組にもちょこちょこ出演されていたので、視聴者から港さん宛にファンレターが届いたこともあったそうです。
それではフジテレビ・港浩一社長の若い頃の軌跡についてご紹介してゆきますね!
1976年にフジテレビ入社
引用:Wikipedia
港浩一さんはフジテレビに入社した時から制作を希望していましたが、最初の配属先は人事部でした。
1979年に制作部門の子会社に出向されましたが、1980年の社内改編にて制作部門ごとフジテレビにに復帰することが決定した為、念願の【本社・制作部門勤務】がスタートします。
そしてこの1980年~1990年代がフジテレビの勢いが最もあった時期だったことも重なり、港さんはバラエティーの現場で数々の伝説を残してゆくことに。
世襲でもない平社員からのスタートから社長にまで駆け上がることができたのも、この「フジ黄金期」にしっかりと結果を残せたことが大きく関係していると言えるでしょう。
フジテレビは「視聴率三冠王」を獲っていた時代がありました。「視聴率三冠王」とは、ゴールデンタイム・プライムタイム・全日の3つの時間帯で同じ地区の放送局の中で視聴率のトップを獲得することです。1982~1993年、2004~2010年がそれにあたります。
とんねるずとのタッグで次々と結果を出してゆく
とんねるずとの最初のタッグは1983年に始まった『オールナイトフジ』でした。
主な出演者はデビューしたばかりのとんねるず、片岡鶴太郎さん、「オールナイターズ」と呼ばれる現役の女子大生たちです。
この「素人の女の子×大人数」の構図はその後の『夕焼けニャンニャン』の「おニャン子クラブ」でも用いられることとなり、港氏の中で「コレはウケる!」という成功法則を掴んだのでしょう。(司会もとんねるずと片岡鶴太郎を引き続き起用)
引用:X
とんねるずとはその後30年余りのタッグを組むことになりますが、主な番組は次のとおりです▼
- とんねるずのみなさんのおかげです(1988年10月13日~1997年3月27日)
- とんねるずのおかげでした(1997年6月26日~2018年3月22日)
とんねるず木梨憲武さんによる、港浩一さんをものまねしたキャラ「小港さん」も人気でした▼
引用:文春オンライン
秋元康とは盟友
秋元康さんと港浩一社長は若い頃からの盟友です。
1980年に港さんがディレクターデビューした深夜番組『ザ・ラストショー』の構成作家でした。
先述した『オールナイトフジ』にてとんねるずを港さんに紹介したのも秋元康さんです。「若い面白いコンビがいるよ」と紹介したところ、即採用だったんだとか。
そして秋元康さんといえば『夕焼けニャンニャン』の仕掛け役、そして「おニャン子クラブ」楽曲の大ヒットが有名ですよね!
奥様の高井麻巳子さんもおニャン子クラブ会員ナンバー16番の元アイドルの御方です。
そして昨今ではAKB48グループや坂道シリーズのプロデュースとしての手腕は誰もが知るところ。
港社長は今でも秋元康さんのことを「秋元」と苗字で呼ぶほどの親しい中であり、お互い駆け出しのころから続く大切なビジネスパートナーであることが伺えます。
港浩一社長の若い頃・プライベートは?
ディレクター時代の港浩一社長のショット▼
引用:YouTube
港浩一社長は若い頃のプライベートはどのように過ごしておられたのでしょうか?
東京・港区西麻布界隈ではイケイケだったという週刊誌報道もあります。
「当時の港さんはイケイケでね。東京・港区西麻布界隈で、とんねるずやミス・ユニバースを引き連れた港さんを見かけたことがあります。あの頃から女子アナをたびたび接待の場に同席させてもいましたね」
引用:デイリー新潮
今よりももっと日本が元気だった時代。まして「時代の先頭を走っている」頃の港さんですから派手に都会を闊歩しておられても何ら不思議ではありません。
港浩一さんに憧れていたTV業界人も多数おられたことでしょう。
港浩一社長のwikiプロフィール・学歴・経歴
港浩一社長のwikiプロフィール・学歴・経歴は次のとおりです▼
- 氏名 港浩一(みなとこういち)
- 生年月日 1952年5月15日
- 年齢 72歳
- 家族 妻(子供は不明)
- 出身 北海道上磯郡木古内町
- 高校 北海道札幌西高等学校
- 大学 早稲田大学第一文学部
- 職業 フジテレビジョン代表取締役社長(2022年6月就任)
- 経歴 ディレクター⇒プロデューサー⇒第二制作部部長やバラエティ制作センター室長、バラエティ制作センター担当局長などを歴任⇒常務取締役(2013年)⇒共同テレビジョン社長(2015年)
今回はフジテレビジョン代表取締役社長の港浩一さんの若い頃についてお届けいたしました!
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